Mizuiro-Tsukushi

2020

インタスレーション

新造真人

Installation

 ひとつのテーマを起点として、沢山のものを集め、愉しむことを「尽くし」と言う。例えば「松茸尽くし」といえば、一つの素材で様々なメニューを集めることである。他にも浮世絵、数え歌、宝尽くしのテキスタイルと、江戸時代は「尽くし遊び」が百花繚乱だった。現代では忘れかけられている愉しみ方である。

 しかし、「尽くし」の魅力は、ただ集め尽くすことではない。集め尽くすことによって「目出度さ(めでたさ)」や「祝祭」を作りされる。尽くしても、尽くしても、尽くしきれないこの世界の豊かさを皆で分け合うことが、この思想の向こう側にある。

 かの有名な葛飾北斎の「富嶽三十六景」は、じつは沢山の富士山を集める「富士山尽くし」がテーマ。二〇二〇年、新たな年のはじまり祝うために、富士山を象徴する水色の品々を一堂に集めた。

 部屋に敷き詰められた水色には、それぞれの来歴がある。人からプレゼントとして頂いたもの。購入したもの。拾い集めてきたものである。それぞれの水色に一目をやれば、言葉では尽くしきれない思い出や、送り主との関係性が思い浮かぶ。私は人の名前や顔はすぐに忘れてしまうが、ものへの記憶やエピソードは細かく思い出すことができる。

 ここで一つ質問がある。あなたが普段口にする水は、何色ですか。これまで水色の水を飲んだことはありますか。水色の水などないのに、どうして水色は水色なのだろう。どうして、富士山は水色で描かれることが多いのか。考えたことがありますか。水色という色は、人々の信仰によって編み出され、集団信仰によって支えられる文明的な色ではないか。そして、水色の水を飲まないのに、水色を水色と呼ぶことは、つまりそれは虚構の色ではないか。

 水はその姿形を常に変化させる。氷、水、蒸気と形態変化を行い、また、注がれた器に合わせるようにその姿を変える。水の惑星と呼ばれる私たちが住んでいる地球の表面の7割、そして人間の体を構成する7割は水で構成されている。最後に鴨長明の方丈記の冒頭を引用する。水の特性が、見事に人生やこの世のあり方を表現している。

 “ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず 淀みに浮かぶうたかたは 
かつ消えかつ結びて 久しくとどまりたるためしなし 
世の中にある人とすみかと またかくのごとし”